「原発ゼロ」オレゴン州ポートランドより/省エネは脱ダムから/グリーン&クリエイティブ・シティ(1)

オレゴン州ポートランドといえば、いまや、ナイキの本社をはじめ世界的なプロダクトデザインの会社ズィバ(Ziba)、世界一大きなアウトドアウェア会社のコロンビアなど著名企業が集まっていることでも有名なクリエイティブ・シティのひとつ。倉庫街のリノベーションから始まったパール・ディストリクトにはおしゃれなレストランやギャラリーが集約していることでも知られています。全米でも暮らしやすい都市ということで人気のポートランドには、今もクリエイティブな人たちが移住しているとのこと。さて、そんな都市の人気を考えるときに欠かせない背景が、環境のことを真剣に考えて施策にしてきたオレゴン州とポートランド市の姿勢です。
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オレゴン州では、1979年に早くも新たな原発を造ることを禁止する条例が制定され、1993年に一基だけあった原発も停止されました。それ以降、原発に電力を依存していません。(他州から数%購入した時期はあっても)憧れの「原発ゼロ!」はとうの昔に実現させているのですが、エネルギー消費大国のアメリカでも脱原発を成し遂げている地域があることはあまり知られていません。
より快適なライフスタイルを考えることと「原発ゼロ」、そして「クリエイティブ・シティ」は、実は同じ線上にあるのではないでしょうか。そんなポートランドをレポートします。
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カリフォルニア州の北、太平洋に面したオレゴン州は、中央には山脈があり豊かな大地に育まれているエリア。その盆地となっているのが最大都市のポートランドですが、雨が多いのも特色で、Raining is shining (雨降りは、太陽の輝き!)とさえいわれるほど。山脈より東部には砂漠も広がっていますが、ワシントン州との州境には「母なる川」と称されているコロンビア川が流れ、支流のスネイク川などと山脈から太平洋まで流域圏を形成しています。
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 学生時代以来、大変に久しぶりにポートランドを訪れたのが2005年。カリフォルニアでの事例なども含め、「ダム撤去」視察ツアーで、サステイナブルシティとして人気のポートランドにも立ち寄りました。どことなく明るくなったと感じたポートランドでは、自動車依存から脱却したいと市内中央部に無料で乗れるライトレールを張り巡らせていました。環境施策を次々と実現させて活力あふれる街へと大きく変身している姿に、都市政策で都市は変わると目を見張らされました。
 2002年にリノベーションを完成させたエコトラストビルディングが、シンボリックにオープン。倉庫街だったパール地区が発展をしていき始めた時期でもありました。(この感動的な建物とパール地区については次回のブログに詳細を)当時、そこにオフィスがあった「The Wild Salmon Center」で、サケとダムの関係についていろいろお話も伺いました。
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ポートランド近郊で撤去されるダムは、高さ10mほどの小さなものでした。しかし、ダムを撤去する理由について、「サケがのぼる川を取り戻したい。そのためにできることは何でもすべきで、老朽化したダムは撤去します」とのこと。
 もっとも豊かだった時代には1500万匹ものサケが海から川へとのぼっていったといいます。しかし、1920〜30年代の大恐慌の時代に「ニューディール政策」の一環として当時の新技術であった巨大ダムをコロンビア川流域圏に10基も造ることが計画され、1933年にその1基目「ボナヴィルダム」(Bonneville Dam」の工事が始まり1936年に完成。大きなダムは、現在でも主な発電源として稼働していますし、ダムはアメリカ人にとっての誇りでもあります。しかしながら、ダムには魚道が設けられたものの、それ以来、サケは川を行き来しにくくなっていき、いくつものダムを超えて川を上り下り行き来できるサケは1万匹にまで減少してしまいました。
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 1960〜70年代に環境保護運動でダムと河川の環境悪化の関係が理解されるようになり、1976年には「たとえ電力がもっと必要になることがあっても、これ以上ダムを造らない」と、オレゴン州として決議。その後、このままでは天然サケは絶滅すると“Save the Salmon”運動として盛り上がり、オレゴン州をあげて環境保護の象徴的キーワードになりました。1960年代より繰り広げられていた「ダム反対」という言葉より、「絶滅してしまうサケを守ろう」「きれいな水を飲み続けよう」と、ポジティブに流域圏の再生を大きな獲得目標とすることにより市民意識が高まりオレゴン州政府の正式な施策となったとのこと。
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「サケを守ることは、人が暮らす環境をよくすること」という認識で、ダム撤去は「流域圏再生」というミッションとして陸軍工兵隊(日本の国交省河川局にあたる)のプロジェクトとなりました。流域圏すなわち、河川だけではなく、海も森も流域すべての再生を考えることが陸軍工兵隊の役割“ミッション“ということの意義は大きく、日本で「治水」を最優先させているのとは違うスタンスです。まず、どうしたら海や河川をこれ以上傷つけずにすむのか、再生させられるか優先課題とされたのです。日本でダム計画がなかなか見直されない背景は、ミッションの優先順位が変更されないことも大きな理由でしょう。
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 その後、1980年、環境政策にも関心が高かったカーター大統領の時代に、US連邦政府の方針として魚類保護が政策となり、アイダホ州、モンタナ州、ワシントン州、オレゴン州の北西部州全体で、魚類保護のため将来の電力供給にはダムを造らないと定められました。このとき、「電力条例=Power Act」で「ダムはこれ以上造らずに、省エネルギーの推進=No more dam, but save the energy」が政策となって共有されました。
1982年に大統領がレーガンに変わり、全米では環境政策が低下しましたが、オレゴン州では後戻りすることなく引き続き環境政策が展開され、ポートランドは90年代には全米有数のサステイナブルシティ政策へと発展させていったのでした。
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 こうした歴史的背景をお話して下さったのは、2011年の夏、オレゴン州がすでに脱原発を果たしていることを知って、ぜひ、その経緯を知りたいと取材した折りにお会いした、NGO「エネルギー・トラスト・オレゴン」“Energy Trust Oregon”のマージー・ハリスさんです。
 日本ではともかく「省エネルギー」と自然エネルギーへの転換が大きな話題の夏。オレゴン州には、自然再生エネルギーにシフトしていくことを目標に設立され、節電にも専門的に取り組んでいるNGOがあると知り、「エネルギー・トラスト・オレゴン」の事務所を訪れたのです。この団体は、1999年に州の関係者や市民が立ち上げたものですが、1980年代からの蓄積がありますから、オレゴン州で「節電」といえば「No More Dam」のためにということが市民のあいだでも根付いていたとのこと。豊かな自然に恵まれた地域だからこそ育まれた市民の高い環境意識でした。

 全市民が払う電気代の0、3%がチャージとして「エネルギー・トラスト・オレゴン」の維持活動費としてあてられており、現在では大きな役割を担う団体に成長しています。
 最大の事業で90%以上の予算が使われるのは、節電灯への切り替え工事、ソーラーパネル,及び風力発電ファンの設置工事に対する助成金の配付です。一般企業でも個人でも、一定の条件を満たせば総工事費の3分の1以上が現金で助成金としておりるという制度があるのですが、その利用手続きを手伝ったり、実際の費用の半分以下でエネルギーの消費量を5分の1に抑えられる節電灯への転換を促進したり、市民が自家代替エネルギー発電システムを買えるようと手助けをしてきました。そのために具体的に銀行と特設ローンなど用意もしていますし、あるいは、節電について市民へのきめ細かいアドバイスをするなど幅広い活動をしています。
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 さて、オレゴン州には1976年に操業を開始した「トロージャン原子力発電所」があったのですが、どのように脱原発へと向かったのでしょうか? 環境保護運動が盛んになった1960〜70年代、欧米各地で反原発運動が活発でしたが、1978年にスリーマイル事故があった翌年、オレゴン州では危険な活断層のうえに原発があることがわかり原発廃止が真剣な課題となりました。1843年以来大きな地震は起こっていませんが、小さな地震は幾たびも起こっています。その当時から問題に取り組んできた、再生エネルギー政策提言をするNGO「北西部再生エネルギー・プロジェクト」のレイチェル・シムシャクさんにお話を伺いました。
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「脱原発を決定づけたのは全米を震撼とさせた1978年のスリーマイル発電所での事故でした。早速、同年、原発の危険性および、原発ゴミをどのように処理するのか方法がわからない、捨てる場所も見つからないという、極めてシンプルな理由から原発を造ることが禁止されたのです」
 当時は、ほとんど反対意見もなく、原発を造らないということは、すぐさま決まったことだったとか。1980年にはワシントン州で5つの原発計画がたてられましたが、資金調達ができずに挫折。北西部4州、オレゴン、アイダホ、ワシントン、モンタナでは、節電と将来の再生エネルギー化へのロードマップが描かれ、この時代、ダムと原発が同時に「これ以上造らないもの」と位置付けされたのでした。
 ポートランドで取材中、どなたに原発をやめた理由をうかがっても、「なぜ、そんな当然のことを聞くの?」といわんばかりの顔をされてしまいました。そして、「Fukushimaのあとで日本はどうすることにしたの?」と聞かれるたびにつらい気持ちに・・・。

 とはいえ、オレゴン州でも原発を新たに造らないことについてはスリーマイル原発事故後すぐに決議されたものの「トロージャン原子力発電所」の廃止は、すぐに決定というわけにはいきませんでした。1988年と1992年に2度、住民投票で原発廃止が問われましたが廃止要望側が負けています。その理由としては、原発で働いている労働者が反対したこと、電力会社が500万ドルものお金を使ってキャンペーンを繰り広げたことが大きかったとのこと。アメリカでは住民投票が、さまざまな案件で頻繁に行われていますが、ときに宣伝費を投入できる側が勝つというのもしばしばのことになっているとか。とはいえ、住民に強い反対意思があることは、電力会社の意思決定にも影響を与えていましたし、そのひと月後には、原発でジェネレーターが故障。修理費用より廃止したほうが経済的だと、ポートランド電力会社が停止を決めました。その背景には、保険会社が原発事故は保障できないと宣言したことや他州から電力が買えるようになったこともあり、結局、1993年にトロージャン原子力発電所は停止されました。
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 現在、市内のほとんどの住民が利用しているポートランド電力会社(PGE)は、80万世帯に電力供給をしていますが、実はその6割から8割しか発電をしておらず、他電力会社(都会から離れた農業地帯にその昔、小さなダムの自家発電所を造るなどをした小さな電力会社も10数はあります)やほかの北西州より購入しています。こうした状況を踏まえても、原発をやめたという判断は正しかったと誰もが思っているので、再び原発を稼働することはありえないとのこと。

 供給電力の約6割がボナヴィルダムなどによる従来型の水力発電、約3割が火力、12%が自然再生エネルギーで、その35%は風力発電です。オレゴン東部でカスケード山脈を越えると砂漠地帯となるので、雨も降らずに風もあって風力発電に絶好の立地で、この地帯を中心に2500基が稼働しているとのこと。全米では4位の数ですが一人当たりの発電力でいけば全米1位だろうとのこと。電力分配施設の設営も大きな経済効果を生んでいます。ダムではなく自然へのダメージが少ない水力発電は再生エネルギーに位置付けられ44%と最大の比率を占めています。そのほか、バイオマスが14%です。元来、河川が豊かで多くダムが多く造られた日本でも、小型の水力発電への移行はさらに進展させることが期待されます。(2500基のうち2000基を設置したクリステンソン電機のHP写真より)
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 こうした動きを背景に、国際的な風力発電機を造る会社の本社が、いまやポートランドに集まり、ポートランドは世界の自然エネルギー首都エコ・キャピタルになりつつあるといわれています。結果的に自然エネルギーへの転換は、経済活性化に役立つことが証明されているとのこと。

 ポートランド電力では、ミックス電力が一般的な供給スタイルですが、再生エネルギーだけの電力を使うという選択もできます。その場合は、月額にして、平均世帯でいえば9ドル余分にかかるのですが、その支出をいとわずに自然再生エネルギーを使いたいと登録している世帯は12%もあります。

 2025年までに火力の割合を減らして再生エネルギーの割合を25%までに上げることが獲得目標と州政府が定めています。しかしながら、その方策をどのようにしていくのか、実は、PGEでは、頭を抱えているのが現状だそうです。風力発電のタワー設置に向いているエリアは、ほとんど使ってしまっているので、これ以上増やしていくのが難しい状況だとか。
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 太陽光発電普及も、現状ではコストが見合わないことで今のところ大きな課題。むしろ、アメリカでは太陽光発電の普及は始まったばかりです。NPO「ポートランド太陽電力化」(“Solalize Portland”) では、グループでのセミナーを各地で開催、地域のグループで設置することを進めています。設置が決まれば、「エネルギー・トラスト・オレゴン」から補助金がでるのでかなり割安。そのうえ、オバマ大統領が、2年前に経済刺激策として制定されたいわゆる「グリーン・ニューディール」政策の一環として補助金を出すようになり、さらに安く設置できるようになりました。その設置作業などが「グリーン・ジョブ」と呼ばれました。連邦政府が、$20ミリオン(200億円)の予算を組んだプロジェクトで、以前より「エネルギー・トラスト・オレゴン」が活躍していたことでポートランドが18地域のひとつに選ばれました。まさに、ニューディール政策のダムから、グリーン・ニューディール政策の自然エネルギーの時代へと象徴的な公共事業です。

 実は、ポートランドでは太陽光発電は、華々しく宣伝されてはいるものの約2000件しか設置がなく、80万世帯からみればほんのわずかという状況。太陽光発電の普及については、日本のほうがはるかに進んでいます。むしろ、クリステンセン電機会社へインタビューに伺った際には、その話題になりました。オレゴンにはパナソニック(サンヨー)の太陽光発電パネル工場もあります。
 ところで気になる電力の値段ですが、日本ではキロワットあたり25円ですが、アメリカでは6円。そして、消費電療量は、アメリカは日本の5倍。やはり、電力消費大国であることは間違いありませんね。
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 脱原発を果たしている国といえば、北欧やドイツで日本よりシンプルな暮らしをしているからなどと言われ、経済界も反対をしてきた脱原発。どうも、日本では脱原発がオルタナティブなライフスタイルと引き換えるのかどうかと感情的な議論にもなりがちな状況が続いてきたのではないでしょうか。
 オレゴン州の事例からわかるのは、すなわち、原発の是非は、ライフスタイルを根本的に変えるとか電力消費の問題ではなく、科学的に考えて「危険性やごみ処分ができない」という現実的でシンプルな理由と問題からの危険回避の選択であるべきでしょう。

 2005年のダム撤去視察ツアーで見てきたマーモットダムは、高さ約7mの日本でいえば砂防ダムレベルの小さなものでしたが、お隣りのワシントン州コロンビア川流域圏の高さ33mのエルワーダム(Elwha Dam)は2011年9月から10月にかけて撤去されました。アメリカでは1910年代に造られたダムが続々と寿命を迎えており、続いて高さ38mのコンジットダム(Condid Dam)も撤去されました。
 日本では、1955年に造られて鮎の上り下りを妨げていた球磨川にある荒瀬ダムの撤去工事が今年度4月から始まりました。高さ26mですが、この規模のダムでは初の撤去工事です。荒瀬ダム視察にも訪れ、オレゴン州、カリフォルニア州のダム撤去ツアーでご案内してくださったデイヴィッド・ウェグナーさん(「ダム撤去」岩波書店刊の著者)と、ナンシーさんです。(主催はリバーポリシーネットワーク)デイビッドさんはオバマ政権になってワシントンDCで、こうしたダム撤去事例の生態的なアドバイザーとして活躍されています。
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*グリーン&クリエイティブ・シティ・ポートランドのご紹介を次回にも続けます。

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Thanks to;
*Christenson Electric, Inc. 
Dean Skaar  (Vice President Business Development)
Alan Hickenbottom(General Manager)
*Renewable Northwest Project
J. Rachel Shimshak (Executive Director) 
*Portland General Electric 
Charlie Allcock (Director, Economic Development)
*Energy Trust of Oregon
Margie Harris (Executive Director)
*Portland Parks Foundation 
Nick Harding(Executive Director) 
*Yoshio Kurosaki

ニューヨークに鉄道あとち公園「ハイライン」を見てきました!

ニューヨークに高架鉄道あとちを公園にした「ハイライン」を訪れてきました。08年5月に工事中のところを訪れて以来、1期工事の完成は2009年6月だったものの、歩いて10分ほどの距離とのことだったので、今年の6月に2期工事が完成したらと、夏休みの再訪を心待ちにしていました。

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高さがある場所から、ニューヨークの街並みを眺めるのは、気持ちがいい! まずは、そのことを実感しました。誰かが、魔法のじゅうたんにのって建物をぬって空を飛んでいるようなと評していましたが、まさに!
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8月のヴァケーション・シーズンということもあって、ハイラインは世界中からのお客さんで大賑わいでした。もはや、NY観光にはずせないスポットに。
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ご覧のように、ハイラインがある地域は、もともとが工場街。工場の中にそのまま列車突っ込んで行っては荷物を下ろし、次の建物に進むという使われ方がされていたため、ビルからビルへと線路がはりめぐらされていたのでした。

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ざっくりいって、ニューヨークはセントラパークがあるアッパーエリアとロウアーに区分されますが、ローアー・ウエストにハイラインがあるミートパッケージ(食肉工場)エリアや、チェルシー(アート街)があります。おおむね南北でいえば10th Ave沿いに、W12thストリートの北、Gansevoort ST.からW30th ストリートまでに立地しています。詳しいマップは、ぜひ、こちらのサイトをご覧ください。
 http://www.thehighline.org/about/maps
最も南端、ある時期にビルに入った線路が撤去されたところから、ハイラインは始まります。
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下から見上げたところですが、ここに見える階段が入口で、全部で8か所にあり、地図で確認してみると車いすや乳母車もOKなエレベータも4基あります。

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この建物は、The Standardという高級ホテルになりましたが、各室から海か、もしくは、街並みの絶景を近隣の建物にじゃまされずに見ることができると世界中から、また、アメリカ中からNYにやってくる観光客に大人気。

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その真下にある素敵なカフェですが、まずは、巨大なドールがお出迎え。これは誰の作品かな? ホテルのエレベーターでは、話題のマルコ・ブランビラ(Marco Brambilla)
http://marcobrambilla.com/
の映像作品を見ることもできます。アートのメッカだけあって、こだわりの作品群は、それぞれになかなかです。

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さて、その階段を上がってみましょう。わくわく・・・08年5月に訪れた際に同じ場所から撮影した工事中の写真と、実現したハドソン川の波を色の映像にしたアートに取り組んでいたスペンサー・フィンチ( Spencer Finch)の発表会、「ハイライン友の会」共同代表をしているロバート・ハモンド(Rovert Hammond)のインタビューと併せてハイラインの歴史を、わたしのHP別ページでもざっくりとご紹介しています。
http://yurika-net.sakura.ne.jp/round_trip/roundtrip_17.html

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さりげなく、線路が木々と一緒にそのまま残されている様子。地元、下北沢界隈では、小田急線地下化工事が真っ最中。そのあとちがどうなるのかということからの関心で訪れている身には、第一印象ですでに胸きゅん。線路のもつ力を感じさせられました。

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なにしろ視界が開けて、地上を歩いているときよりもハドソン川がずっとすぐそばに。

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一人でも、家族でも、皆さんがそれぞれの場所で楽しんでいます。
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この木製ソファをよく見たら、線路の上に乗っています。線路をいかして動かすことも可能なデザインが心憎い。
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ここにも、線路と植物の両方をマッチさせた素敵なデザインが。
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線路はときに見えたり、お花畑にかくれて見えなかったり。ゆったりお散歩は楽しい。
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下から見上げるとこんな感じで、登っているときのように優雅な感じはしませんね。まさに、新たな公共空間が生み出されたということ。その経済的価値は、セントラルパークの創出に匹敵すると、ハイラインの方たちは自画自賛されています。

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観光客も多いけれど、地元の人も大いに利用。ジョギング姿も似合う場所ですね。
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水遊びをする子供も大人も楽しげに。
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子どものためのイベントも色々と企画されています。背景に見えるカラフルなアートが、先にご紹介したフィンチの作品。

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昔懐かしい手削りのかき氷。ニューヨーク州の農家でつくっているピーチやプラムを煮詰めたシロップが、またおいしくて・・・大人だって子供気分いっぱいで楽しみます。

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NYで人気のオーガニックカフェも、出店していました。建物に少し入り組んだ場所を上手に利用してカフェなどを配置しています。

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ボランティアの方たちが、毎週土曜日には無料で案内をして下さるとのこと。そのツアーにも参加させていただきました。14人のガイド・ボランティアがいらっしゃるとのことです。わたしのグループは、NYで生まれ育って、今も、近所のロンドンテラスという古い建物に住んでいるというKenさんに説明を伺いました。サポートをして下さったのは赤ちゃん連れで参加のAbbyさん。今はまだ、説明は1期工事区間だけですが、これから2期工期区間のガイドも始まるとのことで準備をしているそうです。ただし、ガイドがあるのは10月末までです。

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たとえば、何気なく見ていた元船着き場ゲート54.ケンさんが、「実は、1912年にタイタニック号が、もしも沈まなければ到着したはずのゲートだった」と、説明して下さると少し違う景色も見えてくるような気がします。また、その手前の食肉工場に入る直前には、肉をぶらさげたフックもそのままに残っているのですが、それも教えていただいて気づくこと。

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やはり、川の眺めは格別。のんびりと、川を眺めに来るだけでもいい場所ですね。

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鳥の巣箱は、サラ・ジー(Sarah Sze)のアート作品。その向こうにはエンパイアステートビルディングがさりげなく見えています。
http://www.thehighline.org/about/public-art/sze

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ガイドのケンさんがこの場所で見せて下さった古い写真。現在と比べてみると・・・
http://www.youtube.com/watch?v=uRp8z4rLj-Q&feature=related
ここがかつてどんなだったかは、こちらのビデオで興味深く見ることができます。そして、どれだけ地元の皆さんが情熱をかけて、撤去されようとしていた高架線路を「夢の公共空間」にしようと努力をされたか熱い気持ちも伝わります。計画には、27の建物再生計画も伴ったとのこと。着工したときの記念すべき映像も入っています。工事が始まってからも、今の公園を信じることができない人が多かったとのこと。アメリカ社会のこと、半分は寄付金で工事が行われたため、盛んなキャンペーンが行われました。

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植物の世話をするガーデナーがフルタイムで7人も働いているそうです。
ディテールにわたって素晴らしいランドスケープを創りだしたのはランドスケープアーキテクトのジェームズ・コーナー(James Corner)のオフィス“Field Opperations”。 http://www.fieldoperations.net/

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そして、お掃除をする人も頻繁に見回りをしてクリーンな環境に整備。地道な努力は、お散歩しながらも伺えます。 真冬は雪かきの苦労も・・・冬の様子はこちらの映像で。http://www.youtube.com/watch?v=tAPNT0pRrpE&NR=1
Ken informed me later, "Last year there was a snow sculpture competition soon after a heavy snow storm. The winner was a one block long caterpillar that went over and around the benches! It was fun to see." 「去年、冬にひどく雪が降った直後には雪の彫刻コンテストが行われました。優勝したのはひと区間も使ってベンチの廻りにつくったキャタピラ!面白かったですよ」と、ガイドのケンさんがあとからメールで教えてくれました。

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ショップではバッジやTシャツなどを販売。そんなスタッフも。ともかくたくさんのスタッフやボランティアが、ハイラインを支えていることがわかります。

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なごみのベンチは、素敵な劇場にも早変わり。ここを使ってのパフォーマンス、「ステップダンス」の映像を見ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=WVqBCPpqGmc&feature=channel_video_title


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10th アヴェニューのポイントでは、左側からは遠くに自由の女神を見ることができます。そして、通りそのものを劇場に見立てて客席をつくったデザインは秀逸。

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通りから見るとこんな風なのです。

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こちらの劇場のように素晴らしいデザインと、線路をつかっての楽しいデザインをしたのはポルトガル人女性建築家のエリザベス・ディラー(Elizabeth Diller)と、ニューヨーカー建築家のリカルド・スコフィディ(Ricardo Scofidio)、チャールズ・レンフィロ(Charles Renfro)のスタジオ“ Diller Scofidio + Renfro”です。
http://www.dsrny.com/ 世界中で、先進的デザインの作品を発表しつつあるのはおみごと。見応えのあるHPです。

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街こそが劇場であると・・・夕暮れどきの風を受けながら。

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黄昏時も、お散歩どき。人の流れはたえません。
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暗くなってからのNYの楽しみは、また別格。夜の10時までオープンしています。
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夕食後のお散歩にもうってつけ。
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線路を歩き・・・
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街の景色を楽しむデザインが随所に仕掛けられ、夜のベンチは格好のデートスポット。

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そして、終点の30th Streetまで歩いていくと、そこには特設ローラースケート場が開設されていました。しかも、NYで躍進華々しいユニクロが提供。きっと冬にはアイススケート場ですね。

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さらなるはずせないお楽しみは、ビアガーデン。昼間も夜も、歩いた先にビールが待っていてくれるのはうれしい! こちらも「ハイライン友の会」が運営。ということで、昼も夜も、歩いて楽しいハイラインでした。

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お世話になったボランティアのKen and Abby.ありがとう! Thank you very much for your hospitality. I enjoyed your story, and it was nice to hear your pride of NY. Please come to my town, Shimokitazawa Tokyo. I will be a guide for you.

「ハイライン友の会」(Friends of High Line)の充実したHPでは さまざまな情報を見ることができますので、ぜひ、のぞいてみて下さい。
http://thehighline.org/newsletters/060711.html

そして、地元、下北沢界隈では、小田急線地下化後のあとをどうするのか。「グリーンライン下北沢」(旧・小田急線あとちを考える会)を立ち上げて、その未来を皆さんと考えているところです。
http://www.greenline-shimokitazawa.org/  ハイラインから学べることは多そうですね!ぜひ、世界中からお客さんが訪れる、すてきな場所にしたいものです。

* 10月30日(日)13:30〜 北沢タウンホール12階スカイサロンにて、NYハイラインについて、さらに詳細にお話をさせていただきます。「グリーンライン下北沢」連続セミナー 「みんなでつくるグリーンラインと下北沢」第1回です。ランドスケープ・アーキテクトの井上洋司さんにもお話をいただきます。入場無料。
http://www.greenline-shimokitazawa.org/GLS-process01.html
当日、発表したパワーポイントではさらに詳細な情報を整理してアップしていますのでご覧ください。http://www.greenline-shimokitazawa.org/111110highlineREPORT.pdf

このときのセミナーを取材していただいた「ACROSS」にグリーンライン下北沢についてインタビューをしていただきました。
http://www.web-across.com/todays/cnsa9a0000083v6a.html

暑くなりました!川辺川ダムを巡る物語ふたつ 次の世代へ 八代干潟

暑いですね!なるべく冷房を使わないようにと、自宅では汗だくに。まずは、涼しそうな水しぶきを感じる球磨川下りをご紹介しますね。奥には鮎釣りをしている方も見えます。船が通るので釣竿をひととき上げておられた様子。そう、球磨川鮎がおいしいシーズンにもなりました。
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さて、09年に出版した「川辺川ダムはいらない〜宝を守る公共事業へ」(岩波書店)ですが、この本を踏まえて、ふたつのことに関わらせていただきました。ひとつは、九州の5つの大学が続けている合同ゼミです。昨年は、当番校だった熊本大学法学部伊藤洋典ゼミの皆さんが中心になって頑張られて、今年の春に「学生が見た川辺川ダム」(熊日情報文化センター)を出版されました。昨年9月の熊大でのゼミでお話させていただいた「川辺川ダム中止への経緯とこれから」を掲載していただいています。いささか遅くなりましたがご紹介を。
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12月の合同合宿では、皆さんの議論などを聞かせていただきました。川辺川ダム問題が沸騰して、漁協で反対・賛成の大きな綱引きがあって大騒ぎになり、住民討論集会や熊本県収用委員会が開催されて、毎日のように熊本日日新聞に記事が掲載されていたのは2000年から2003年頃のことでした。
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その当時、学生さんたちは、まだ小学生だったのですね。川辺川ダムが大きな問題になっていることは知っていてもどんなことがあったのかはわからない年齢。勉強をして初めて知ることばかりという様子に、すなわち、もはや川辺川ダム問題の経緯は歴史となっているのだと、つくづく。
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熊大の伊藤ゼミに加えて、九州大学(出水薫ゼミ)、鹿児島大学(平井一臣ゼミ)、佐賀大学(畑山敏夫ゼミ)、西南大学(田村元彦ゼミ)の総勢100名ほどの学生さんたちが、自ら企画運営するという合同ゼミは、なかなか壮観。それぞれの大学ごとにテーマを決めての事前取材や勉強、発表と、熱心な取り組みです。大勢の中でも、積極的に挙手をしての発言を含め、ポジティブな姿勢は見ていて爽やかな若者たちでした。
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文部科学省の「質の高い大学教育プログラム」の一環として、10年前の初年度に川辺川ダムの現場を訪れて以来、市町村合併や、市民参画など様々なテーマでの勉強会を経て、再びのテーマ「川辺川ダム」だったとのこと。熊本県蒲島知事をはじめ、各自治体の首長、反対運動関係の方たち、国交省とキーパーパーソンをインタビュー。それぞれ皆様にわかりやすい説明をいただき、学生さんがインタビュアになったことで、複雑になっている現状を含めて、川辺川ダム問題を知る入門書として好適な本にまとめられています。
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国立大学法学部の学生さんたちは、どうしても役所の側に身を置いて考えがちの様子でしたが、社会問題について、多角的な見方を学ぶ上でも、大変に興味深い勉強方法と見えました。自治体で仕事をされている方たちにもお勧めの一冊です。

会場には、懐かしい潮谷義子元知事もおられ、変わらぬ明晰なご発言。「住民討論集会」について、当時の報道が「平行線」と伝え続けたことを受けて「意義がなかった」と発表した学生たちの意見に、「いささか異議があります」と「首長が決めるのではなく、民意がどういうものか、賛成・反対の方たちに同じ土俵にのってもらって明確にしてもらう、熊本的自治であった」と、ご自身で説明をされました。学生さんたちが驚いたという第一回住民討論集会の写真はこちらです。今も、その熱気を思い出すことができる、川辺川ダム取材の中でも忘れがたい一場面でした。
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推進・反対の市民が激突している時期に、ダムサイト予定地の相良村の体育館には3000人もの人達が集まり、テレビ放映を含めて透明な中での議論をする機会を設けることは、大変なことだったと思います。こんなことは茶番だ、帰ろうという推進派の方たちを、マイクを握ってひきとめたのも潮谷さんご自身でした。「わたしは両者の意見を最後まで聞きたい」と、フェアであろうとする姿に会場にいる人達が静まり返りました。2001年12月、はや、10年近くも前のことになりました。
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学生たちの発言を熱心にメモする潮谷さんを見ながら、わたしは、06年4月から1年間、東京で開催された社会資本整備委員会河川部会球磨川検討小委員会で一人熱心にメモをとられていた潮谷さんの姿をも思い出していました。
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せっかくなので、霞が関で委員会が開かれる直前の様子を写した写真を探してみました。当時、人吉市長がダム推進であり、自民党が多数派の県議会の同意も得られそうもなく、潮谷知事は住民討論集会の後でも結論を出すことができませんでした。しかし、ねばり強く霞が関で開催された小委員会で、一人、疑問を呈し続けることに。それでも、ダム反対の結論を発言することが出来ないまま、08年3月で知事を引退。蒲島知事は、有識者会議を設置して半年後に判断するとして立候補。その公約通り9月に有識者会議の答申書を受けてダム反対のご発言をしましたが、その後、荒瀬ダム撤去の凍結(後に凍結は解除)や県営路木ダムの推進など、必ずしも有識者会議で提示されていた「なるべくダムを造らない」という方向での施策は遂行されませんでした。
http://yurika-net.sakura.ne.jp/blog/index.php?mode=res_view&no=29
熊本県民の総意を川辺川ダム反対に導いたのは、間違いなく潮谷さんでした。市民の前に常にフェアであろうとした政治家らしくない知事のバックグランドは福祉の世界です。
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潮谷さんは、県庁のすぐそばにある慈愛園乳児ホームの園長をされていた方でした。慈愛園は、全国でも初めて老人ホームを造ったことでもしられている総合的な福祉施設です。訪れてみた乳児ホームは、葉祥栄さんが設計という光あふれる素敵な建物。
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「親のない子供にとって実家ともなるべき家が素敵な場所であって欲しい」という潮谷さんの願いどおり、細やかな配慮にあふれるあたたかな雰囲気のホームでした。クライアントセンタード=利用者中心=県民中心主義、という潮谷さんの県政に対するコンセプトは、こんなところで培われたもの。「傾聴」という福祉用語さえも使いながら、市民の目線にたった知事ならではの、住民討論集会であり、ダムに対する疑問だったと頷けます。
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上の写真は、ほぼ現在の五木村の写真。手前は更地に盛り土をした造成地に造った中学校。ノリ面がそのままダム湖になる予定だったと聞いたひやりとした気分です。とても危ない地質だと、指摘し続けた熊大元教授の松本幡郎先生を思い出します。

さて、学生さんたちも一筋縄ではいかない現実を理解するのはいささか大変だったろうと思います。というのも、現在の蒲島知事も、人吉市長も川辺川ダム反対を主張されており、新政権でも川辺川ダム反対は標榜されているものの、どこか国交省は諦めきっていないと地元の人たちは感じているのです。その大きな理由は、国交省が、五木村についてダムなしでの施策をまだまだちゃんとは挙げていないというということ。それを受けて五木村も、ダム推進の旗を下げそびれているというわけです。すでに知事選挙でもダム推進の候補はいなかったわけですから、熊本の民意はたとえ知事が変わっても変わりそうもありません。あまりに五木村に失礼な状況だと思いますが、政権交代の際に川辺川ダムと共にダム反対を掲げられた八ツ場ダムでは、未だ基本高水を根拠にダム案をやめないつもりの国交省。政権交代後も、欧米でのように「流域再生」をミッションにしているわけではなく、治水を優先させる姿勢は変わっていないのです。

注)その後、6月26日に、五木村の生活再建事業についてようやく、国・県・村の合意ができて、一歩前進したとのこと。追記をご覧ください。

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そんな五木村を舞台に、劇作家で演出家の坂手洋二さんが、芝居「帰郷」を書き下ろし、6月22日から7月4日まで、新宿の紀伊国屋ホール・サザンで公演されています。前半は、私の著書も半分原作と坂手さんにおっしゃっていただきましたが、川辺川ダム問題のなじみあるエピソードが俳優たちに次々と語られました。後半は、球磨の方たちが、「おぼれそうになったばってん、川んたろうに助けてもらったけん」と語るような、少しユーモラスな夢幻世界の物語。でも、その中に、厳しい現実も盛り込まれての作劇は、辣腕社会派劇作家の坂手さんならではの構成です。50年前に洞窟で石に足をはさまれて亡くなったけれどダムが気になり成仏できなかったという登場人物も、ユーモラスに描かれていましたが、ダム問題を気にしながら亡くなった方は、地質学者の松本先生はじめほんとうにたくさんおられます。
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上に掲げた写真の下部分、更地になってしまったところに舞台のかき割のように残った一軒家が尾方茂さんのご自宅です。坂手さんは、尾方さんの存在に強烈に刺激を受けたとのこと。実際に、舞台には尾方さん宅が再現されていました。劇中、この家を守るのは女性主人公ですが、演じた中地美佐子さんは、尾方さんに直接、農地を大事にするお話を伺ったとのことで迫真の演技をされていました。

五木村については、昨年のブログでもご紹介、こちらに尾方さんご夫妻が写っています。
http://yurika-net.sakura.ne.jp/blog/index.php?mode=cat_view&cat=8
また、五木村にすみついて(ただし、今はタイ滞在中)尾方さんのことをさらに詳しくご報告して下さっている寺嶋悠さんの素敵なブログもご紹介しています。劇にも、寺嶋さんによく似た雰囲気の登場人物がいました。わたしが、とても通いきれなかった五木村。次の世代の方が、熱心に支援をして下さっているのはうれしい限りです。

去年のブログは、五木村で開催された「不知火海・球磨川流域圏学会」と併せてのレポートですが、今年も6月に総「不知火海・球磨川流域圏学会」会が開催されました。今年は、来年には撤去工事が始まる荒瀬ダムと八代干潟についてがメインテーマ。
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荒瀬ダムは発電ダムとしての役割を終え、ゲートを常時開放するようになり、ずいぶんと球磨川の水質がよくなったそうです。すると、干潟の生き物が活発になり増殖。市民が、以前のようにアナジャコ捕りを楽しむようになったとのこと。梅雨での大雨のなか、それでもアナジャコ捕りをされている方たちの見学させていただいてきました。
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こうやってアナジャコの穴をみつけて筆をさしこむと敵が来たと思って食いついてくるのだそうです。てんぷらがおいしい、アナジャコ!
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全国でも初の大型ダム撤去となる荒瀬ダム撤去については、八代のつる詳子さんのブログに詳細が紹介されています。
http://kumagawa-yatusirokai.cocolog-nifty.com/






五木村の生活再建事業が6月末、県による50億円の支出などを条件に進展することになったとのこと。ダム中止後の補償法を造って、事業撤退のモデルにすると前原大臣が強調発言をしていたことで、補償法に基づく事業費を期待したものの、法案そのものが混乱する中央政権のもと国会に提出さえできていない。国と県で負担や役割について明確になっていないという課題が未解決だが、もはや、補償法を期待するより、現行での補助金をうまくつかって現実的に対応をするほうがよいとの判断に収まったもよう。

「 6月26日、村と国、県の3者協議が終わった五木村役場。田山淳
士村議会議長に促され、和田拓也村長が国土交通省や県の担当者と手
を握り合った。3者の握手はダム本体着工を調印した1996年以来。
和田村長は「多少は肩の荷が下りた」とほっとした表情を見せた。」
と、熊本日日新聞、7月2日付けより。詳細はそちらで。

芽ぶきの季節に/今こそ、エネルギーシフト/原発水かけ論はやめよう

連休もおわって、すっかり新緑の季節。冷暖房もいらない気持ちがよい気候がありがたいですね。このひと月ほどの動きを、とりまとめてお伝えします。
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東北大震災の被災地では、まだまだ避難所生活を送られている方が多く、大変な状況が長丁場となって継続中。日本建築学会では、ちょうど4月12日から22日に予定されていた「まちづくり展」で、展示予定を変更して総力をあげて東北被災地支援のために動き出していました。11052tohokumap.jpg
「まちづくりとは,小さな希望をあつめ,人々のつながりの中でそれを育て,日常の暮らしと,それをささえる空間を作り出す技術です。 全ての暮らしと空間が,根こそぎ奪われてしまいました。しかし,私たちはそこに新しいきずなと希望を探すことから始めなくてはなりません。復興への手がかりと希望の芽をさぐり,それを多くの人々と共有するため,日本建築学会まちづくり支援建築会議では総力をあげて『まちづくり展』を開催します。」
http://news-sv.aij.or.jp/shien/s1/event.html
被災地の方たちのお気持ちを考えると、なにができるのだろうかとたじろぐ気持ちにもなります。でも、だからこそ、地域の歴史や地形から見つめ直し、少しでも提案をしていこうという学生たちのワークショップにはほんとうに小さな希望の光を感じました。こちらに発表されたものを見ることができます。
http://news-sv.aij.or.jp/shien/s1/charrette_WS.html
同時に専門家から募集していたさまざまな提案もこちらにまとめられています。
http://news-sv.aij.or.jp/shien/s1/teiansheet.html

ほかにも続々と東北支援の企画が開催されています。5月12日、青山のスパイラルホールでは「緊急提言シンポジウム『森と海をつなぐ日本の再出発』が開催されました。

オークビレッジの稲本正さんが中心になり、CWニコルさんらも参加したシンポジウムには、「森は海の恋人」という言葉を広めて下さった畠山重篤さんも、震災後初めて上京され、お話をして下さりました。 命からがら高台に津波から逃げて助かったとのこと。
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「やっぱり森と川と海の関係をちゃんとさせることからしか復興はありえないんじゃないだろうか」と、畠山さん。「これだけ海に蹂躙されても、誰も海を恨んでない。海の見える高台に暮らしたいと言っている」と、胸が熱くなるようなお話。「加工工場は全滅したけれど、ちょうど加工が必要ないかつお漁が始まりました。気仙沼のかつおを食べて下さい!」と。ぜひ、食べたいですね!! 
「被害にあわなかった牡蠣の種を、いかだで育てる決意をしました。年明けには出荷できるのではないかと思います」と、力強い言葉をいただきました。前向きになっていかれる、東北の皆さんをなんとか支援したいと、こちらも前向きな気持ちでいっぱいになりました。
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稲本正さんの「オークビレッジ」建築部では、間伐材を使って会場のスパイラルホールに一晩で建てたという簡単にできる木造仮設住宅の提案。地元材を使っていけば地域の復興にも役立ちます。味気ないプレハブ住宅より、よほど気持ちがいい木造住宅。ミソは、△テント型の仮設住宅を、そのまま合掌造りのように重ねて復興住宅の一部にもできるとのこと。どこかで実現できたらいいですね。
http://www.oakv.co.jp/kenchiku/index.html

この日のイベントでは、ほかにもなじみ深い方たちが続々と登場されました。CWニコルさんの黒姫で一生懸命に森を造ってきた話も、やっぱり感動的。そして、脱ダムのための智恵を出して下さってきた新潟の大熊孝さんは、「自然エネルギー」といっても、ダムは決して「クリーンエネルギーではない」というお話。東京の山手線を動かしているのは、新潟県の宮中ダムで造られる電力です。でも、そのために川は干上がり、本来、のぼってくるはずのサケが生息できなくなります。もう少し信濃川に水が欲しいと願いはささやかで申し訳ない気持ちに。遠いところで集中的にエネルギーを造るのではない方法を、今後は考えていかなければならないのだろうと思います。
例えば代わりに、水車のような小水力発電は、ダムのように川も傷めずにいいと大躍進中ですね。http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110517/biz11051706010028-n1.htm

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高見裕一さんからは、データをもとに「自然エネルギー」でいかに暮らしを成立させていけるのかという話もありました。70年代以降ずっと経済成長を続けてきた日本では、それに比して、消費電力もうなぎのぼり。でも、08年のリーマンショックで頭打ち。すでに上昇ではなく「定常型社会」への流れが確認されつつあります。印象的だったのは、22基の原発をすべて停止させても、1989年当時の消費電力は生産できているということ。その時代に戻っても、特段の不便はないのではないか。浪費型社会を造ってきてしまっただけなのではないか・・・すなわち、少しライフスタイルをかえて自然エネルギーにシフトさせていけば、十分に原発がなくても暮らしはたちゆくだろうと。もちろん、89年にはパソコンも、携帯電話もシャワレットも普及していませんでしたが、ひとつの目安にはなると思います。

こちらで、ビデオを見ることができます。http://www.ustream.tv/recorded/14646971 少し長いですが、2時間半、立ち見で聴き続けて飽きない内容でした。

福島原発事故での深刻な汚染。チェルノブイル以上という汚染、「メルトダウン」が、そのときには報道されずに2か月もたって確認・・・多くの人が「原発はいらない」という声をあげています。世田谷でも、エネルギーシフトを訴えるパレードが子供の日に楽しく行われました。子供たちは守らなければ。次の世代に負の遺産をつくってしまったことが申し訳ない・・・後年、がん発生率の異常があってはならないとおもいます。7日にあった渋谷でのデモは、1万5千人の参加となり、ドイツのようにはいかないものの、脱原発を訴えるデモ=パレードは、日本でもじわじわと浸透しつつあります。
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多くの人の声が届いたか、菅直人首相はやっとのこと、もっとも危ない活断層の上にある浜岡原発停止を要請、「安全な堤防ができるまで」という期限つきですが、ともかくも停止されることが5月9日に決定されました。続けて、5月10日、菅首相は、昨年決定された『エネルギー基本計画』=「現在54基の原発を2030年までに14基以上増やし、原子力などが総電力に占める割合を約70%」を白紙に戻して議論すると発表。大きな進捗です!遅すぎた感もありますが、ともかく、至急に必要な決断がされたと見えます。経済界は「いきなり」と反発しましたが、この状況下での決断をいきなりと表現するのはいかがなものでしょうか。

ただし、たった今、原子力発電所のすべてをストップさせることは難しい。それは前提。でも、反対する人たちが「原発やめろ!」の声をあげると、すかさず「電力不足はどうするのだ?原発なしではやっていけない」と言われての水掛け論。そうじゃないんです。そんな議論を聞くと悲しくなります。原発に頼らない生活は、「今すぐに」ではなく、段階的に考えていかざるを得ないこと。

自然エネルギー政策提言団体ISEP(環境エネルギー政策研究所)からの提言書「3.11 後の原子力・エネルギー政策の方向性〜二度と悲劇を繰り返さないための6戦略」には、その指針が示されています。 http://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_StrategyNo2.pdf
・ 2020 年に電力供給の自然エネルギー20%増(既存の水力・地熱を含めて30%)
・ 2050 年に電力供給の自然エネルギー100%へ
_________
原子力エネルギー政策からの転換についての方法も具体的に提案しています。(要点抜粋) 
1)原発新増設と核燃料サイクル事業の即時凍結    
投入される予定だった関係する公費は、すべて事故処理に充てる。

2)環境視点の開かれたエネルギー政策機関の新設  
既存のエネルギー政策行政機関は、危険性をかえりみずに原発を推進してきたので、すべて廃止。内閣府に「総合エネルギー戦略会議」を設ける。

3)全国ヨコ串の一体的な送電会社を創設し、電力市場を抜本的に改革する。 
独占市場での「鎖国的な地域独占体制」は脆弱。西日本の発電所が機能するのに、東日本 の需給逼迫に対応できない。電力会社ごとのいびつな送電網が再生可能エネルギー普及の障害だけでなく、安定供給にも致命的。オープンで自由かつ環境保全的な電力政策を策定する。⇒ *5月18日、菅首相は、エネルギー基本計画見直しの中で、電力会社から送電部門を切り離す「発送電分離」の検討をすべきと発表。小規模で消費地に近くで自然エネルギーを発電する会社が生まれやすくなる下地をつくりたいとした。
「分離論」はエネルギー施策に重要なポイントとなる。

4)自然エネルギーとエネルギー総量削減を柱とするエネルギー政策の確立
日本の電力供給とエネルギー供給の根幹を、総量削減に繋がる省エネルギー・エネルギー効率化と地域分散型を軸とする自然エネルギーに据える。折しも東日本大震災と同日に閣議決定された再生可能エネルギーの全量買取制度」を活用して、自然エネルギーの全面的かつ加速度的な普及を目指す。

5)気候変動政策・低炭素社会構築としたエネルギー政策との相乗的な統合
自然エネルギー導入の高い目標を据える。 自然エネルギーの大幅な普及にもっとも有効な政策手法として国際的に認められている固定価格買取制度(FIT=Feed-in Tariff)の日本においても本格的な導入する。

..................
[ISEP]から5月23日に、新たなプレスリリースが発表されました。「与野党は全量買取法案を最優先して可決すべき〜法案可決の上で、自然エネルギーの本格的な普及に向けて、政省令レベルでの改善が必要」との内容です。

http://bit.ly/lqudpG

続いて、6月12日には、【国民の国民による国民のための原子力・エネルギー政策へ
「エネルギー・環境会議」への「12 の提言」】が発表されました。詳しくは追記をクリックで 
http://www.isep.or.jp/images/press/110611ISEPpress.pdf


永田町の議員会館では、議員と国民が協働して日本を自然エネルギーにシフトしていこうという「エネシフ・ジャパン」を立ち上げて、このところ毎週一度の勉強会を重ねています。(こちらから申し込めばだれでも参加できますよ) http://www.sustena.org/eneshif/

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5月17日にあった勉強会では、福島原発が4基とも立地している大熊町の役場の石田さんがいらしてお話を伺いました。人口15000人の町で、現在は62か所の避難所に分かれて暮らしているとのこと。役場の方の御苦労も並大抵ではありません。東電からは直接何の情報もなく、普通に避難しているところに、防御服を着た人達が現れて、どれほど驚いたかなど・・・「絶対に帰りたい。40年はダメだとしてもずっと長い歴史をもつ町に、子育てはほかでやってもらっても、いつか帰れるように〜」と話を結ばれました。 三春町からは、作家でもある玄侑宋久和尚の奥様いしだともこさんがいらして、お話を。また、東北大の小池武士さんからは、放射能の測定についてと盛りだくさんの勉強会です。

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そして、大事な具体策を教えて下さったのは、脱原発の研究をされてきた田中優さん。
「電力は貯めておくことができないためにエネルギー供給の目安は最大消費ピーク時が目安となっています。でも、このピークは、1年のうちたった10時間ほど。夏の平日、午後2時から3時、気温が31度以上の日」とのこと。そのため、例えば、アメリカでは、冷房電力のみを別配線にしておいて、その時間帯ほんの5分間だけいっせいに停電させる仕組みを作って奏功させているとのこと。冷房を5分停止させても誰も気がつかないのだと。確かにですね。フランスでは、この時間帯、なんと電気料金が11倍。ピーク数値を上げないことに国民の意識と政策がきちんと焦点化されています。

もうひとつ電力料金で考えないといけないのは、家庭では使えば使うほど高いのが当たり前ですが、企業では、使えば使うほど安くなるという仕組みになっていること。これでは省エネが掛け声倒れ。企業にどーも甘いのが日本のあり方のようで・・・
ということで、節電についても、まだまだ可能性はたくさんあり、原発をやめること、すなわち、必ずしもウンターカルチャーに共感してライフスタイルを変えなくても、誰もが共有できる方法がありそうです。
_________*
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節電モードが当たり前になって、駅もスーパーも少しずつ照明を落とし、街は少し暗くなりました。でも、それでいい、いや、そのほうがいいとさえ感じます。渋谷のスクランブル交差点に、落ち着きがなくうるさい大画面が4つもできたとき、どう考えても、これが期待してきた未来の姿じゃないと、つくづく思いました。暑い夏の日に、大画面のおかげでさらに街が暑くなっているのが目に見えるようで。

節電モードのなか、ある日、大画面が消え、しかも、車が少なくなった通りは、むしろ素敵に見えました。そう、1989年には、こんな大画面もありませんでしたね。

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ささやかだけれど、被災地に思いをはせる品々を下北沢の「スロコメ」で購入。 http://slowcomedyfactory.oyucafe.net/access
石巻の味噌屋さんがいらしていて工場の被災状況を伺い泣けました。飯舘村からは「おこし酒」=村おこしを願って作り始めたばかりだったという日本酒。缶詰工場で、被災した缶詰は、石巻でラベルがはがれてドロドロになったのをボランティアが一つ一つ手洗いしたとのこと。ボランティアの皆さんが、地元の方をつないで下さりました。ありがとう。
国民の国民による国民のための原子力・エネルギー政策へ
「エネルギー・環境会議」への「12 の提言」     2011年6月11日
                 環境エネルギー政策研究所(ISEP)
                           提言代表者:飯田哲也

1. 【国民主権】エネルギー政策の決定権が国民にあることを再確認し、国民参加・国民の意見反映の場を十分に設けること
2. 【完全公開】今後のエネルギー政策を国民とともに議論するため、「会議」及び「幹事会」は、事業仕分けと同様に市民のネット中継や傍聴も自由にできる、完全公開とすること
3. 【総理の責任】エネルギー政策の議論は、国の根幹にかかわることであり、内閣総理大臣の責任を明確にするため、総理が「会議」の議長とすること
4. 【国内外の政策知の活用】革新的エネルギー・環境戦略を提唱する複数の外部有識者(当然のことながら、これまでの原子力・エネルギー政策の責を問われるべき人を除く)を「会議」の正規構成員に加えること
5. 【政策体制見直し】既存の特定省庁に閉じて、国民不在で行われてきた原子力・エネルギー政策の体制のあり方も見直しの対象とし、経済産業省と資源エネルギー庁の分離も検討すること
6. 【原子力政策の白紙見直し】原子力については、従来の推進政策と福島第一原発事故の反省を踏まえ、完全白紙から検討すること
7. 【新三本柱:自然エネルギー】自然エネルギーについては、主要8カ国首脳会議で示した以上の飛躍的な導入拡大を目指し、事業性を確保する固定価格買取制度など、具体的な政策も示すこと
8. 【新三本柱:省エネから需要側管理へ】省エネルギーについては、電力依存度の低下や適切なエネルギー利用への転換を含めた「需要側管理」という発想に改め、意欲的な目標と実効的な政策を検討すること
9. 【新三本柱:コジェネ】従前のエネルギー市場は、電力vsガス戦争のために、総合熱効率の高いコジェネレーションが封じ込められてきた。今後、天然ガスを中心に、バイオマス(バイオガス)なども含めたコジェネレーションの積極活用を新三本柱とすること。
10. 【化石燃料の2つのリスク】化石燃料については、国際価格の高騰傾向及び地球温暖化対策の目標を十分に踏まえて検討すること
11. 【電力市場改革】電力システムについては、自然エネルギーの飛躍的拡大を前提とし、発送電分離等、電力事業再編も含めて検討すること
12. 【エネルギー産業革命】エネルギー・環境産業については、雇用、地域経済の活性化の観点を重視しつつ、新しい産業革命を立ち上げるイノベーションのあり方を視野に入れて検討すること

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